現役時代は、左の強打者として日本リーグで三冠王を獲得し、オリンピックでも“宇津木ジャパン”の中心選手として、2度のメダル獲得に貢献された宇津木麗華(うつぎ・れいか)さん。
引退後の現在は、ソフトボール女子日本代表の監督を務められており、2021年の東京オリンピックでチームを金メダルに導いたことは記憶に新しいところ。
これは、宇津木妙子さん率いる“宇津木ジャパン”でも成しえなかった快挙ですよね。
宇津木麗華さんが中国から帰化されていることは有名で、同姓であることから、宇津木妙子さんの養女だと思われている方も少なくないかもしれません。
実際のところはどういった関係なんでしょうか?
また、現在の国籍がどうなっているのかも気になります。
そこで今回は、
- 宇津木麗華さんのプロフィールを詳しく!
- 宇津木麗華さんの現在の国籍は?
- 宇津木麗華さんと宇津木妙子さんの関係は?
- 宇津木麗華さんは結婚して配偶者と娘さんがいる?
といったことを中心にお伝えしていきます!
宇津木麗華さんは結婚しているのか?など、プライベートなことにも迫りますので、是非、最後までご覧ください!
宇津木麗華のプロフィール
宇津木麗華さんは中国の北京出身で、日本に帰化する前は、任彦麗(にん・えんり)さんという名前でした。
小、中学校はやり投げの選手として活躍されていましたが、14歳の時にソフトボールの監督からその強肩ぶりを見初められスカウトされたんだとか。
1979年、ソフトボール女子日本代表が中国に遠征した際、宇津木妙子さんのプレーに魅了され、すっかりファンになったといいます。
中国ジュニアチーム時代には、同じ大会に日本代表のコーチとして帯同していた宇津木妙子さんに教えを請い、6割を打つ活躍。
その後も2人の交流は続いていきました。
1988年、宇津木妙子さんを頼って、25歳の時に来日。
日立高崎に入団し、午前中は群馬女子短期大学で日本語を学び、午後に練習参加するという生活を送りました。
1994年には、ソフトボールの日本リーグで三冠王を獲得。
1995年、32歳の時に日本に帰化。帰化の理由は国体に出たかったから。
宇津木妙子さんへの憧れから、「宇津木」姓を名乗りたいと宇津木妙子さんへ頼んだところ快諾。
「宇津木麗華」として生きていくことになります。
1996年のアトランタオリンピックには、国籍変更選手に関する規定により出場を断念。
2000年のシドニーオリンピックでは、3試合連続で本塁打を放つ活躍で銀メダル獲得に導きました。
2004年のアテネオリンピックでは、主将としてチームをけん引。
予選リーグ突破を決めるタイムリーや銅メダルを確定させる試合で決勝打を放つなど、銅メダル獲得に貢献されました。
オリンピック後に現役を引退。日立&ルネサス高崎の監督に就任しました。
2011年に1度目のソフトボール女子日本代表のヘッドコーチ(監督)に就任。
2012年の世界選手権で、日本を42年ぶりの優勝に導きました。
2016年11月から2度目の代表監督に就任。
2021年7月の東京オリンピックでは、2008年の北京オリンピック以来、13年ぶりとなる金メダル獲得に導きました。
同年11月、群馬県の県民栄誉賞を受賞。
2024年のワールドカップまで代表の監督を務めることが決まっています。
現在、ビックカメラ高崎の部長、日本ソフトボール協会の副会長も務められており、日々、指導者や役員として女子ソフトボールの発展に貢献されています。
現在の国籍は?

宇津木麗華さんは、25の時に父親の反対を受けながらも来日。
1995年、32歳の時に日本に帰化。
この時も父親から帰化することを反対されましたが、宇津木妙子さんの熱心な説得で承諾。
宇津木麗華さんが日本でプレーすることになった経緯、帰化することを選択した理由などはプロフィールに記載していますので、そちらをご覧ください。
現在、ソフトボール女子日本代表の監督を務められており、国籍は日本のまま。
これからも日本人として日本で暮らすと思われますが、中国籍に戻ろうとした場合、不可能ではないようです。
帰化した人は国籍回復申請を行い、中華人民共和国公安部がこれを審査。
(スパイ容疑など)国家や社会に危害を及ぼしていないかなど厳しい審査が行われるそうです。
ただし、リスクもあるようで…。
宇津木麗華さんが今後、中国で指導されることは否定できませんが、国籍は戻さないのではないでしょうか?
ちなみに宇津木麗華さんは、選手から監督やヘッドコーチと呼ばれることが好きではないようで、中国名の苗字である「任」を使用し、ニンさんと呼ばれています。
宇津木妙子との関係は?

ここでは、宇津木麗華さんと宇津木妙子さんの関係についてお伝えしたいと思います。
2人の出会いなどはプロフィールで紹介していますので、まずはそちらをご覧ください。
初めて宇津木妙子さんのプレーを見た時に、小柄ながら強い打球を飛ばすこと、巧みなグラブさばきにすっかり宇津木妙子さんのファンになったという宇津木麗華(当時は任彦麗)さん。
中国のジュニア代表、ナショナルチームの代表となっても宇津木妙子さんとの関係は続き、「宇津木さんと一緒に、ソフトボールをしたい」との思いから、1988年に来日。
1995年には、尊敬する宇津木妙子さんから日本名をもらって帰化。
苗字が同じ「宇津木」であることから、宇津木麗華さんは宇津木妙子さんの養女だと勘違いされている人もいるようですが、養子縁組はしていません。
あくまでも“師弟関係”であり、年齢も10歳差しかないことから親子というよりは姉妹といった感じでしょうか?
宇津木麗華さんが日本へ帰化する際、宇津木妙子さんは帰化を反対していた父親を説得するため、中国まで赴き説得してくれたんだとか。
帰化した翌年、アトランタオリンピックに五輪憲章の国籍事項の影響で出場できないと決まった時には、宇津木妙子さんは一緒に泣いてくれたといいます。
その後、2人の結びつきの強さに、(ひいきしている、代表を私物化など)批判や誹謗中傷を受けることもあったそうです。
しかし、2人の関係はそんな安っぽいものではなく、ただただ、日本の女子ソフトボールを発展させることだけを考えて邁進していきました。
2008年に日本は、悲願のオリンピック金メダル獲得。
さらに13年後の東京オリンピックで、宇津木麗華さん率いる日本代表が金メダルを獲得しました。
こちらがソフトボール女子日本代表の歴代監督一覧になります。
ソフトボール女子日本代表 歴代監督
・宇津木妙子 1997年12月~2004年9月
・井川英福 2004年10月~2006年12月
・斎藤春香 2006年12月~2011年2月
・宇津木麗華 2011年2月~2015年12月
・福田五志 2015年12月~2016年10月
・宇津木麗華 2016年11月~現役監督
オリンピックでしかソフトボールの試合を観ないという方もいるかもしれませんね。
かくいう私も宇津木妙子さんから宇津木麗華さんに直接監督をバトンタッチされていたと思っていたのですが、間に2人も挟んでいたんですね。
ソフトボールは、次のパリ・オリンピックでは競技種目から外れますが、2028年のロサンゼルスオリンピックでは復活する可能性が高いそうです。
宇津木麗華さんは、2023年7月に開催された「カナダカップ」でもチームを見事に優勝へと導きましたし、5年後に繋がるチーム作りは順調といったところでしょうか。
宇津木麗華の配偶者と娘は?

宇津木麗華さんのことを調べていると、「配偶者」と「娘」というワードが表示されることに気づきました。
つまり、宇津木麗華さんは結婚しているのか?子供はいるのか?ということを気になっている人が多いということ。
いきなり結論を申しますが、宇津木麗華さんは独身で子供もいません。
なぜ、このようなワードが表示されるのかと考えたところ、宇津木妙子さんと勘違いしている人がいるのではないでしょうか?
2002年、宇津木妙子さんは会社の後輩である12歳下の伏見幸男さんと結婚。
代表で監督と選手の関係であった安藤美佐子さんとの対談で、「残念ながら、出産だけはクリアできなかった」と話しており、宇津木妙子さんに子供はいません。
娘というワードが表示される理由は、宇津木妙子さんの娘が宇津木麗華さんだと勘違いしている方がいるというだけの話みたいです。
それは宇津木の心を打ち、任の来日が決まった。1988年の春、家族、恋人、中国のチームを捨て、任彦麗は日本へやってきた。
ちなみに2022年に配信された記事によると、宇津木麗華さんは日本に来るまでは恋人がいたとありました。
日本に来てからはソフトボール一色の暮らしをしていたことから、結婚を考えるような男性とは出会えなかったのかもしれませんね。
まとめ
今回は、ソフトボール女子日本代表の監督である宇津木麗華さんについてお伝えしました。
ここまでお伝えした内容をまとめると…。
まとめ
- 宇津木麗華さんは選手、監督としても超一流!
- 宇津木麗華さんの国籍は日本
- 宇津木麗華さんと宇津木妙子さんに血縁関係はなく、養子縁組もされていない
- 宇津木麗華さんは独身で子供もいない
といったことがわかりました!
宇津木麗華さんの人生はソフトボールに捧げられたといっても過言ではないかもしれません。
師弟関係として強い絆で結ばれる宇津木妙子さんとの出会いがなければ全く別の人生を歩まれていた可能性もあります。
ただ、2人の出会いは必然だったのではないでしょうか?
今後も宇津木麗華さんは宇津木妙子さんと共に女子ソフトボールの発展に大きく貢献していかれることでしょう。